WOWOWのライブ映像に感動して、改めてPerfumeがどうやって出来たかを検証してみたい。(仮) その4

3.中田ヤスタカ

Perfumeが単なるアイドルとしてではなく、広く一般的に親しまれるようになった要因は、
なんと言っても中田ヤスタカ(以下中田氏)と言う、全くの異業種的な音楽プロデューサーの存在が欠かせない。

Perfumeを知らない人は、一般的なアイドルのイメージで、つんく氏や、秋元康氏の様な
総合プロデューサー的な存在として、中田氏を引き合いに出そうとするのだが、当人が
楽曲の提供以外に、Perfume3人と接点を持とうとしているそぶりはあまり見受けられない。
2003年当時、広島から上京したばかりの中学生3人と、メジャーヒットがなく、音楽的な方向性を
模索中の人見知りな中田氏の出会いは、意気投合とは正反対の状況だったことは容易に想像できる。

Perfume中田ヤスタカを引き合わせた人物こそは、Perfume成功の一番の立役者ではないか?
とする向きも多いのだが、実際、当時のスタッフに、これと言った確固たるイメージがあっての、
戦略ではなかったことは、インディーズのBEE-HIVEレコードから出した「スウィートドーナッツ」等のシングル曲を含め、アルバム収録も果たさなかった当時の楽曲たちに、中田氏の様々な試行錯誤と、迷走(?)が伺われる。

その2年後の2005年に、Perfume徳間ジャパンからメジャーデビューを果たした当時に使い出した「近未来型テクノポップユニット」という名目も、後付けであったものの、メジャーデビューからの近未来三部作と呼ばれるリニアモーターガール」「コンピューターシティ」「エレクトロ・ワールド」の3作は、作品としての整合性は、非常に高く、未だに色あせない存在感を放っている。
ただ、そのコンセプトも、その後あまり引き摺らず、うやむやにしてしまったところも、Perfumeらしいと言えるだろう。

中田ヤスタカ自身も、当時の様々な実験をうまく吸収し、その後の2006年リリースの
「FRUITS CLiPPER」あたりから、確固たるテクノポップサウンドを確立していったところは、
Perfumeと共に成長していった面があるように思われる。(続く)

WOWOWのライブ映像に感動して、改めてPerfumeがどうやって出来たかを検証してみたい。(仮) その3

2.アミューズ

Perfumeが幸せな芸能生活を送れているのは、
第一に、アミューズという芸能プロダクションに拾われた事が挙げられると思う。

芸能プロダクションと言うのは、多かれ少なかれヤクザな稼業だとは思うのだが、
事、アミューズに関しては、あまり黒いイメージが少ない。
キャンディーズのマネージャーであった大里洋吉氏(現アミューズ会長)が創業し、
タレント思いの社風である事が、大きいのだと思う。外部の者としては、内部事情は
推し量る事しか出来ないのだが、サザンオールスターズ福山雅治ポルノグラフィティ
といった、所属タレントの人柄や、Perfumeのデビュー当時から現在に至るまでの
扱いの緩さで、その雰囲気は十分に察せられる。
大里会長自身も、キャンディーズ時代、ファンに育てられたと言う様に、
タレントへの愛情や、ファンを大切にする気持ちの伝わるエピソードが沢山あり、
実に趣きあふれる人物である。
(ちなみに、Perfumeは平成のキャンディーズと評される事も多いのだが、マネジメント的な意味合いでも、良い前例として、非常に活かされていると思う。)

さて、そのPerfumeだが、広島でローカルデビューを経て、中学3年生時に、
アミューズ主催の新人女性タレント育成プロジェクトBEE-HIVEの一員となるため、
親元を離れ、上京。複数のグループと共に寮生活を送るのだが、
このBEE-HIVEと言う企画自体は、Perfume以外には、
特に出世株がなく、大赤字だったそうだが、同じ夢を描き、努力する先輩方に囲まれ、
売れない下積み時代を過ごした事は、逆境にめげない、3人の精神的な強さを着実に育んだ。
当時の、地道な営業活動は、今でこそ、良い思い出話にはなっているが、
一部、残っている映像からもわかるように、今からは想像のつかないぞんざいな扱いだが、
あ〜ちゃん本人曰く、無駄はひとつもなかったと思う。
また、当時の、天真爛漫な3人の素の姿や、個人的な悩みを吐露するストリーミング映像が、
いまだにYoutube等に残っている事も、少なからず、コアなファンを生み続ける要因になっている。

そして、Perfumeにとっての大きなターニングポイントとなる中田ヤスタカとの出会いへと
繋がる。(続く)

WOWOWのライブ映像に感動して、改めてPerfumeがどうやって出来たかを検証してみたい。(仮) その2

1.ASH(アクターズスクール広島)時代

前回は前置きで無駄を食ってしまったが、淡々と続けさせてもらおう。

Perfumeをアイドルグループとして語る時に、他のグループとの差別化を図る必要が
あるとするならば、何よりもこの一点に尽きると思うのが、

Perfumeはオーディション企画や、
他者の言い付けでこじつけられたグループではなく、
まったく、自発的に結成したグループであるという事実だ。

結成当時、一世を風靡していた、沖縄アクターズスクール出身のビッグスター、SPEEDに憧れて、
広島アクターズスクール(以下ASH)に入った3人の小学生は、仲の良い者同士でとりあえず、
チームを作ってみた、(まあ、結成当初のゴタゴタは省略するとして。)
それが、現在のPerfumeである。

ロックバンド等では、気の合う仲間で結成したグループが、その後、メンバー交代もそこそこに、
ビッグネームになる事は、狭き門ながら、ままある事ではあるが、事、アイドルグループとなると、
非常に稀なケースと言えるのではないだろうか。

とにかく、いつまでたっても仲が良い、と言うのが、Perfumeの売りのひとつだが、
やはり、そこにはあ〜ちゃんのカリスマ性というか、求心力が強く働いている事は間違いないだろう。

Perfumeはスタートアップのお手本

と言う、最近話題になったブログ記事も大変よく分析されているが、正に、あ〜ちゃんの人心掌握術と、
その他の二人のあ〜ちゃんへの忠誠心が、Perfumeの根幹を支えている事は間違いない。

また、このASHでは、現在においても、3人が公私に渡り、良き指導者として仰いでいる。
振付師のMIKIKO先生と出会った事も、非常に重要なファクターである。

MIKIKO先生は、Perfumeと共に芸能プロダクション、アミューズに所属する、振付演出家であり、
個人的な活動も盛んであるが、何よりも、自他共に認める、4人目のPerfumeとして、お互いに
欠かせない大切な存在である。
(4人が振付の練習をしているシーンはもっと映像化してほしいものだ。)

ここASHでの4人の幸福な出会いが、今後のPerfumeの活躍を決定付けていたのではあるが、
まだまだ、素晴らしい出会いが次々と続いていくのである。(続く)

WOWOWのライブ映像に感動して、改めてPerfumeがどうやって出来たかを検証してみたい。(仮)

Perfumeの東京ドームのライブから2年。
3rdアルバム「JPN」をひっさげての全国ツアーに、
自分自身、3回程参加させてもらったのだが、
会場の後方から眺めるパフォーマンスは、何度体験しても、
十分楽しめるものだったものの、
エンターテイメントとしてのPerfumeは、東京ドーム公演でほぼ完成してしまっていて、
それ以上の進化はないのではないかと、高を括っていた。

ところが、先日WOWOWJPNツアーのライブ映像を観て、そのクオリティの高さ、進化のほどに、改めて、感動して、思わず涙してしまった。

既存の、ライブ定番曲、ポリリズム』、『エレクトロワールド』、『ワンルームディスコ』等の
盛り上がりっぷりは、あいかわらずだが、何よりも今回のツアー初披露のアルバム曲の質の高さに驚いた。

ライブ中盤の『時の針』から『微かな香り』のつなぎの美しさ。
『GLITTER』『FAKE IT』、等の演出のかっこよさ。
『MY COLOR』『心のスポーツ』等の、客を巻き込んだパフォーマンスの楽しさ。
『Have a Stroll』等の女性らしいしぐさのかわいらしさを巧みに表現する部分。
どれをとっても、十分に見応えのあるものだが、
特に、個人的に感動したのが、『スパイス』の芸術性の高さだ。

Perfumeの魅力といえば、(色々あるのだが…)なんといっても、
中田ヤスタカの作る楽曲の良さと、それを見事に容にするMIKIKO先生の振り付けと、
それを見事な精度で表現する三人のパフォーマンスの妙に尽きると思うのだが、
この『スパイス』は、かなりのクオリティに達していると思う。
この曲を見ていると、過去の曲の振り付けがちょっと物足りなく感じてしまう。
(UniversalJは、この曲の部分だけでも、切り取ってYoutubeで公式に配信すべきだと思う…。)

Perfumeの良さを知られると、ますますライブに行きずらくなる」と言う様な、偏狭なファンも
少なくない(気持ちは分かる)のだが、現在、日本の誇る、稀有な優良コンテンツである、
Perfumeのパフォーマンスを出し惜しむのは、日本人としての罪に他ならないと思う。
サッカーなら、香川を未だにJリーグに留めて置く様なものだ。

さて、この『スパイス』に至る過程が、どれだけ難しいものだったかを語りたかったのだが、
前置きが長くなりすぎてしまったので、続きはまたのっちほど…。