WOWOWのライブ映像に感動して、改めてPerfumeがどうやって出来たかを検証してみたい。(仮) その8

7.徳間ジャパン

あ〜ちゃんの小さい頃からの夢は、ドームツアーをする様なビッグアイドルになること。
(恐らくSPEEDを目標にしている)
のっちは小学生の頃の作文が晒されている様に、歌手になって歌って踊る事で人々を感動させること。
かしゆかは、恐らく、Perfumeの一員であり続けることだと思う。
明確な目標を持ち続けてきたのは、やはりPerfumeの創業者であり、(3人がフラットな状態を好むので、公言はしていないが、)実質的なリーダーのあ〜ちゃんである。

鳴かず飛ばずのインディーズ時代から、徳間ジャパンからのメジャーデビューが決まった当時、レコード会社の人間に、「記念に3枚だけシングルを出してあげる」と冗談半分に言われたことが、とてもくやしかったと、ラジオ番組で、振り返っていたこともあったが、この発言からもわかるように、徳間ジャパンは当初から、Perfumeにはセールス面でも、あまり期待していなかったらしい。
ねずみ先輩や、ベッキー・クルーエルと言った、いわゆる、イロモノが好きな徳間ジャパンは、面白半分にPerfumeを「近未来テクノポップユニット」と言う、キャッチコピーで売り出したが、Perfume自身は、インディーズからメジャーへの期待が高まる中での、突然の路線変更に、相当とまどっていたようだ。

3部作で、徐々に人気が出てきて、シングルのリリースもなんとか繋がり、5作目のポリリズムでブレイクするわけだが、(4作目のチョコレイト・ディスコを限定版のみのリリースにとどめている意味がわからないが…)それでも、オリコンのウィークリーチャートで7位どまりだった。
6作目の「Baby cruesing Love」で3位と、徐々に順位を上げ、2作目のアルバム「GAME」の発売に至って、ようやくウィークリーチャート1位に辿り着いた。長年、辛抱強く歩み続けて来た3人の感慨は計り知れない。普段涙を見せつ事のないのっちが、ランキング発表の瞬間に号泣していたのは印象的である。(いまでこそ、「GAME」の売り上げは50万枚を超えているが、このアルバムの出来ならば、いつか100万枚を超えて欲しいものだ。)

プロモーション的に徳間自身が本腰を入れ始めたのは、7作目のLove The World辺りからだと思う。(実際には、このシングルは余剰生産気味で、市場に残っていた…。)ようやく世間的にも知名度を上げてきて、よくテレビにも出ていた。

固定ファンを獲得したPerfumeは、それからコンスタントに、10万枚を売りさばく、安定期に入った。今となっては、CDと言うメディアの存在意義が、ファンにとっての単なるコレクションアイテムに過ぎない感はあるが、このCDの売れない時代にしてみれば、大した数字だと思う。

シングルリリースばかりが続き、3作目のアルバム「JPN」は、目新しい曲はそれほどなかったものの、シングル曲集をうまくまとめた感じで、売り上げ的にも、自己最高となり、徳間の稼ぎ頭であることを証明した。

しかし、目立ったプロモーションも打てず、海外進出への窓口のない徳間ジャパンに所属している必要性はあまりなかったことは事実である。メジャーデビューさせてもらった恩義はあるものの、前述のやりとりから察せられるように、お互いの関係は、それほど親密なものではなかったように思われます。(続く)